映画『金子文子 何が私をこうさせたか』(2025年制作)をシネ・ウインドでみた。
強烈。
監督、脚本家、音楽家さん、3人のトークは、絶妙な掛け合いだった。映画の余韻をいっそう深いものにした。
以前、別の金子文子の映画を観たことがある。
韓国で作られた作品で、そこでは、文子の幼年から裁判までを描いていた。
今回、浜野佐知監督が描いたのは、時間としてはその裁判の後。
映画の冒頭、少女時代の文子が、祖母ら親戚中から虐められるのを苦に入水自殺しようとする場面がある。
このとき思いとどまった理由がずっと一貫している。
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底辺での苦闘のすえに声をあげて走り切った文子。
貧しい中で立ち上がる女性の映画はたくさんあるけれど、文子はもっとも貧しくもっともストイックなんじゃないかな。
浜野監督が描いた「私の金子文子」だが、私にとっての「金子文子」と重なった。
金子文子は、かれこれ20年以上、私の中に居続けてきた。
20~30代のころの私は、「どうしたら金子文子になれるのか」という問いを立てた。今思うとおかしいけど、けっこう本気だった。
その後年月を経て、金子文子になるとまで思わないけど、私の中に「プチ文子」がいる。
プチ文子は、「自分自身を生きればいい」と私を解放してくれるのだが、その一方で、容赦なく「お前も権力の犬か」と、私をえぐってくる。
私が安全な場所からキレイ事を言おうものなら、文子が見ていて、私はたじろぐ。だから生半可なことしていられない。
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映画の中で文子が、皇太子の暗殺をたびたびほのめかして、見ていてちょっとドキッとする。
でも、文子が主張したように、私も、天皇制おかしいじゃんって思ってる。(まさか抹殺しようととかなんて思っていないよもちろん。)
天皇も一人の人間。なのに、名字もなく、ときにちやほやされ、ときにマスコミの格好のターゲットにされる。こんなの、人間平等じゃないって思う。
こんなふうに思うのは、作家の住井すえの『さよなら天皇制』や、漫画『美味しんぼ』の作者、雁屋哲の『日本人と天皇制』が根底にある。
天皇という一人の人間の生死で、「元号」というものが決まって、日本中の時間軸になるのって、おかしくない?
金子文子の映画が話題になって、「私は私自身を生きる」に共感するなら、天皇制についてどう思うか?って話もタブー視しないでいいんじゃないのかな。
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文子は書いて書いて書きまくった。
文子が記した幼少期の記録と獄中書簡は残っていて、文子の死後、出版された。
でも、獄中で大量に記したであろう手記や遺言は、残されていない。
それで、獄中の文子が残した、たった10編前後ばかりの短歌をもとに、山崎邦紀氏が脚本をつくった。
わずかな断片から、こんなにも豊かにストーリーが描けることにとても感心する。
書かれたであろうが存在が確認できない文子の大量の記録については、山田昭次『金子文子』(1996年/影書房)で述べられている。山田氏は、文子の遺族の許可をとって資料開示の請求を再三したが、刑務所は頑なに拒絶した。
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この映画の監督たち制作陣の存在も忘れられない映画になりそう。
パンフレットの監督インタビューで(別の作品の文子について)「こんなの文子じゃねえ!!」ってところもよかった。
