分断を乗り越えた巻 映画「こんな事があった」&アフタートーク

先日、シネ・ウインドで、映画『こんなことがあった』の上映とアフタートークが行われた。

登壇した桑原三恵さんは、1977年に初出産したころ、巻原発計画の問題に直面した。

  事故が起きたら、この子たちをどう守れるのだろう

  このまっさらな命を、原発で汚されたくない…

そんな思いが運動の原点だった。


巻原発の建設計画は、「国策だから止められるはずがない」と考えられていた。

当時、東北電力は、多くの民有地を買収していたが、肝心の炉心予定地の一部は未買収で、町有地だった。

町がその土地を売却しなければ、計画は前へ進められない状況だった。

そこで住民たちは、「町政を変えれば止められるかもしれない」と考え、住民投票条例の制定をめざした。

小さな町の中で原発推進派と反対派の間に分かれて、溝ができた。

商売人は立場を明確にしにくかった。

そんな声が出しにくい空気の中、「住民投票だったら参加できる」、「名前を出さずに意思表示ができる」という声もあった。

1996年8月、住民投票が実施された。投票率は88%で、うち6割以上が「NO」を示した。

その後、東北電力の土地買収は頓挫し、2003年12月に計画撤回を決定。

―1969年に原発計画がでてから完全撤退まで、30年以上かかった。

反対運動の主体は、移り変わりながらも誰かが担い手となって、運動はつづいてきた。


住民投票では、反対6割以上、賛成4割と分れた。

分断はあった。でも、「あの住民投票があったから、賛成派の人も納得できた」という。

巻の人たちは考え続けて分断を乗り越えた。

推進派も反対派も、それぞれのチラシを一般家庭に投函していた。

そして人々は両方のチラシを読み、勉強した。

後年、新潟日報に、巻の人が、「巻は分断が必要だった」「分断を乗り越えた」という主旨の投書をしたそうだ。
(ソース記事の確認までできていない。今度図書館で調べてみようと思う。)

今、花角知事は「県民の分断を避けるために判断した」という趣旨の発言をしている。

しかし巻の経験を振り返ると、「分断を避ける」という言葉は、人々の可能性に蓋をしてしまうことではないか…

これに関する記事をネットで調べていたら、「NEWS23」の筑紫哲也が、「巻の人は、原発のことを語らせると誰でも3時間は話す」と語っていたという。

それほど、一人ひとりが読んで考えるのを繰り返し、自分の問題として向き合っていたということなのだろう。


トークの中に忘れられない言葉がある。

「百姓一揆は一つも成功しなかった。でも歴史を変えてきた。俺たちも百姓一揆になろう」という言葉。

夫のこの一言で、「原発はとめられるはずはないと思っていた」桑原さんの心は動いた。

人々が声を上げ続けることで社会は変わる。

桑原さんは、「原発計画を止められるとは思っていなかった。でも、何とかして止めたいと思った」。そして仲間たちと関わり続け、原発を止めた。


現在についての話も重かった。

東京電力は営業運転再開にふみきった。しかし、危うい状況で運転されている。

特重施設(特定重大事故等対処施設)が必要なのは、そもそも原発が危険だからだ。

それに、原発は一度動き始めると、市民は原発をチェックしにくくなる。

「正確な情報を流せば県民は理解する」と花角知事は言う。でも、その「正確な情報」が本当に十分共有されているのか。

避難訓練には莫大なコストがかかる。使用済み核燃料、中間貯蔵施設、海上輸送――

それらを含めて考えた時、本当に「原発は安い」と言えるのだろうか。

柏崎刈羽の一基を動かしても東電の経営問題を解決できるわけでもないだろうに、それに経営合理化というのも危ういことではないか。

「一日も早く、事故が起きる前に止めなければならない」のだ。


アフタートークの後のアフターで語り合いがあった。

今回の映画「こんな事があった」はあまりにも衝撃的だった。

シネ・ウインドの若いスタッフは、「これくらい衝撃的な映画じゃないと本気で考えてもらえないと思った」「それで上映を決めた」という。

監督が年月かけて現地で見聞きしたことを元に、この映画は作られた。

引き裂かれた家族の問題や、奇形の植物などが映画に出てくる。

以前のように住むことができなくなって国会前に集まったのは普通の市民たちだった。子どもの姿もあった。

…福島は「復興」していないままだ。原発が再稼働していいはずない。

柏崎刈羽原発に近い地域に住む方は、「避難訓練でもコストがかかる。一体どんな理屈で”原発は安い”と言えるのか」と発言した。

語り合う中で、原発のことにとどまらず、人がつながって学び、語り合い、文化を育てることが大切だということを先人たちは強調していた。

ちなみに、シネ・ウインドという空間も、文化が育つ大切な場所の一つ。


巻や原発のことは、難しいこともたくさんあるけれど、毛穴から入るように、少しずつ時間をかけて学ぼうと思う。桑原さんがやっている原発カフェというのもある。



なお、私自身、巻原発や柏崎刈羽原発について、まだ理解不足で、事実関係や表現に不十分な点があるかもしれません。読まれた方はどうかご了承ください。